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化学物質過敏症・風のたより2

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アッと言う間に手術は終わり、あれよあれよと病室に戻ってきた。

酸素マスクは、手術室から着けたような気がするけど、記憶は怪しい。

マスクの内側には、事前に預けてあった活性炭シートを挟んでもらい、問題なく酸素を吸うことができた。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

いくらなんでも、手術中は布団を脱いでたと思うけど、麻酔から目覚めた時は、暖かい布団にくるまれていた。

自分のベッドには、薄手の布団を2枚用意してあったので、しっかり被って戻ったけど・・・病室では~じんわり汗がにじむ位暑くて、薄いキルトケットのみにしてもらう。

50年前の手術は、さんざんなめに遇ってて・・・術後はめちゃくちゃ寒くて、真夏だったのに湯タンポまで入れてもらった記憶があるんだけど。。。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

「痛くないですか?」と問われ・・・「ちょっと痛いです」と答えたように思う。

何しろ、麻酔が残っててピンぼけだったけど。

我慢出来ない痛さではないものの、じわじわ痛みは増していた。

使わないでおこう!と思ってたけれど、あっさり撤回して、痛み止めの薬をお願いした。

歯を喰い縛って我慢して、ストレスを増やすより~ゆっくり休みたかった。

点滴に追加する形で、超ゆっくり落としてくれた。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

病室でも、酸素マスクだけでなく、点滴、心電図、胸に埋め込まれたチューブ、尿を取るチューブ、両足にはフットポンプも着けられて~がんじがらめだった。

看護師さんに「補聴器は何処にあるの?」 と聞かれて、在処を伝えると・・・持ってきてくれた。

どうも、話しかけられても、私は応答していなかったみたいです(笑)

ずっと仰向けで、自ら動くことが無かったけど、右手は動かせて・・・補聴器はつけられた。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

通常なら、ここで家族と対面出来るハズなんだけど、コロナ対策で家族とは手術前にも会えず、家族は自宅待機となっていた。

手術が終わった時点で、Dr.から電話連絡があるとのことだった。
大部屋だと病室での面会は禁止だけど、個室なので面会時間になれば会える♪

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

私の病室での体制が整ったところで、イマイチろれつが回らないまま「すみません、空気清浄機のホースを回して下さい!」とお願いする。

テントは無いけど、シックシェルター空気清浄機からの空気を私の顔に当たるように、打ち合わせの通りベッドの手すりに引っ掛けてもらった。

エアイーサーの空気清浄機も、近くに寄せてもらった。

動けないまま、一連の作業を眺め、手術直後は、テントは無理だと納得。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

事前説明の通り、人工呼吸機使用による刺激の影響で、喉がいがらっぽく痰が出る。
ティッシュを持ってきてくれて、自分では吐き出すように言われる。
何度も何度も・・・けっこう忙しい。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

管で排尿出来てるハズなので、お漏らしする心配はないけれど、トイレに駆け込みたい感覚で、どうにも気落ち悪い。

今はトイレに行けないし、3時間経てば外してもらえるし・・・我慢するしかない。

じわじわ身体が動かせると知り、少し膝を立てたり、もぞもぞしているうちに、気持ち悪くない体制が見付かりやれやれ。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

しかし、両足に付けられたフットポンプも~なかなか忙しい。
足首からふくらはぎをギュッギュッギューッと絞めて、左右交互に揉んでくれてる。

有り難いけど・・・眠れやしない。
これも、3時間の辛抱か。。。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

心電図の情報は、詰所に届いているようだけど、それ意外にも、血圧を計ったり~ひっきりなしに看護師は様子を見に来てくれる。

一応、麻酔から覚めているけど眠い。
眠いけど、痰が出るし、フットポンプは動いてるし眠れない。

しばらく経って、酸素マスクのプラスチック臭が気になり始め、活性炭シートを交換してもらう。

そろり、そろりと身体を動かしてみる。
右手は動くけど、左手は感覚が鈍く変な感じ。

お腹もグルルと少しずつ動き始め・・・そうか、痛みを止めるだけでなく、身体中が麻酔によって止まってたんだと思う。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

短かったような、長かったような3時間が経ち・・・

心電図も、酸素マスクも、排尿のチューブも外してもらい、起き上がる。

病院の寝間着から、自分のパジャマに着替えさせてもらう。

ここで、やっと部屋の隅に立て掛けてあったテントを出して、布団を入れてもらう。

まだ、しばらくテントのファスナーは開けたままで、いつでも私の様子が確認出来る状態で過ごす。

ファスナーを開けてても、横に風が吹き出すエアイーサー(空気清浄機)を側に置き、シックシェルター(空気清浄機)のホースを直接顔近くに持ってくることで、空気環境はずいぶん良くなった。

テント設置でほっとしたところで、家族が見舞いに来てくれた♪

CSのガン手術を振り返る・・・術直後_c0330749_03211477.jpg


まだまだ、点滴と体内の液を排出するチューブとの付き合いは続く。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

やっと自分でトイレに行って排尿。
チューブ外したばかりなのに、たっぷり尿が出た。
やはり膀胱はいっぱいだったんだ。
出す力も麻痺してたのかもしれない。

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# by 2kaze | 2020-09-13 03:03 | 告知・手術・療養(ガン)2020~
とことん私の取り扱いについて説明し、手術室に入った。

キャップに大きなマスクのスタッフは、目しか確認出来ないけれど、馴染みの顔が居てくれて心強かった。

後で、すごく緊張していたね!と言われたけれど、私としては~あまりにも慌ただしく、補聴器も外していたので、聴こえないなりに指示を聴き取ろうと懸命だったからじゃないかと思う。

緊張には違いないけど、手術に対する恐怖を感じ、神に祈る暇もなく始まって直ぐ終わった。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

昨年もこの病院で目の手術を受けている。

細めのちょっとクッションのあるベッドに横になると、直ぐに毛布(?)を掛けてくれた。
暖かくてビックリ!
ほんわか~幸せな感じ。

50年前の手術は、とにかく硬くて寒くて、ペラペラの布きれ1枚で不安だったのに・・・。

もう少し防毒マスクしてても良いと言われたけれど、空気は劣悪じゃないし、直ぐに麻酔で眠ってしまうので防毒マスクを外す。

「靴を片付けますね!」から始まって・・・
「点滴の針を刺しますよ!」
「心電図付けます!」
「血圧計巻きます!」
「身体を固定します!」・・・

まるでガリバーさんが小人の国に行った時みたい。
テキパキ何人掛かりだか?秒速で、声掛けしながら、同時進行でいろいろ取り付けられていく・・・。

術衣は肩もマジックテープで開くようになってて便利だ。

そうこうしてたら、馴染みの声の麻酔科医の顔がやって来て、「点滴で薬を入れるので血管痛がありますが、大丈夫ですからね!」「頭がぼーっとしてきますよ!」との声。

点滴刺した右手が、カーッと痛く熱くなって・・・大丈夫じゃないぞ!

でも、手術室の天井が、ゆらゆらボケてきたと話す。

同時に酸素マスクも付けられた。
プラスチック臭いけど、我慢出来る範囲。

しっかり酸素を吸わないと、人工呼吸機が付けられないと聞いていたので、しっかり酸素を吸う。

・・・麻酔科医が、話し続けていたと思うが意識は無くなり・・・「終わりましたよ!」の声で目覚めた。

夢を見る間もなかった。

「まだ、お話できませんからね!」
私は、ぼーっとまばたきしてる間に、人工呼吸機は外されたような。
麻酔は効いてて何の感覚も無かった。

また、バタバタと忙しく、いろんな器具は外されて、大勢で寝間着を着せると同時に、冷たい板のような物を身体の下に入れられ、スルリと滑るように自分のベッドに移動した。

それらの作業も、何をしてるのか声掛けしながらなので安心感があった。

さっき歩いて入った手術室を後に、帰りはベッドに寝た状態で移動。

エレベーターに乗って病室に戻る。



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# by 2kaze | 2020-09-12 10:06 | 告知・手術・療養(ガン)2020~
手術前の医療スタッフとのやり取りは、まだまだあったので追加です。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

《術後に患部の圧迫固定》
術後には、傷口を圧迫固定する必要があり、ぐるぐる巻きになると・・・入院前に病棟看護師さんからの話。

私には、どのような固定なのか?話では理解出来ず、大丈夫かと言われても返事に困った。

看護師さんの提案で、タンクトップを着た上から巻いてはどうか!?との事。

前開きの必要もあるので、切っても良いタンクトップやTシャツや手持ちの長い晒を洗い直して持参していた。

手術の前日、手術担当医師から、私には負担になるので、圧迫固定はしないことになったと告げられた。

この病院では固定してきたが、医師が出向いている別の病院では固定を行っていないし、予後もそんなに変わりはないとのこと。

実際にやってみないとわからないけど、私のストレスを減らす方向で考えていただけて・・・有り難かった。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

《手術直後はテント無し》
シックシェルターのテントは、私にとっては必須アイテムながら、看護師との事前のやり取りで、手術直後の使用は難しいことがわかった。

テントがあると・・・
麻酔で動けない私を、手術台からベッドに移せない。
酸素吸入、心電図、点滴・・・必要な医療機器が付けられない。
頻繁に体調をチェックするにも見えない。

手術室に行く前に、テントは半分に畳んで、部屋の隅に置くことにし、エアイーサーを椅子に乗せて、吹き出す風を私の頭付近に向けることと、シックシェルターからのホースも顔の近くに持ってきて、ベッドの手すりを利用して固定するように頼んだ。(実際には、頭の位置は逆になった)

CSのガン手術を振り返る・・・術前準備2_c0330749_06161746.jpg


術後3時間経過後、動けるようになったらテントを設置して中に入るが、ファスナーは開け、観察出来る状態にしておくことになった。

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《酸素マスク》
手術室での酸素マスクは数分の使用。
麻酔で眠ってしまうので・・・多少は我慢してみよう!
どうにも吸えないようなら活性炭シートを挟んでもらう。

術後3時間、病室で使用するマスクは、前日に確認して、衛生管理でポリ袋に入っていたが、1日でも袋から出してプラスチック臭を飛ばしてもらう。

マスクではあるが、網の目の大きなザルのような感じで、プラスチック部分は少ないけど臭いは気になった。

活性炭シートを口との間に挟むよう、マスク用に作られたシートで、酸素の流入を妨げないことを、現物を示して丁寧に説明し、使用出来ることになった。

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こうして追加記入しながら、手術前は~大変だったと改めて思った。


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# by 2kaze | 2020-09-12 05:42 | 告知・手術・療養(ガン)2020~

術後の新しい生活様式♪

ああ~やってしまった!

ガンちゃんとお別れするために手術を決めたものの、術後目覚めて・・・もう、元には戻れないんだ!とつくづく思った。

新しい自分との付き合いが始まった♪

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

《左腕をかばう寝方》
術後も考え、仰向けで寝ようと練習を試みたけど、うつ伏せじゃないと眠れなかった私。

術後は嫌でも仰向けだった。

腰が痛くて、膝下にタオルケットを丸めて置いたり、寝辛いけど耐えた。

数日して、横向きでも寝られるようになって、ずいぶん楽になった。

その横向きも・・・左耳の具合が悪く、聴こえる右耳を上にしないと、音が聴こえないので、左向きが主だったのに。

左胸の全摘とリンパ節郭清手術後は、左腕を保護する必要があり、左を下にして寝ることが出来なくなった。

左下もしくはうつ伏せ寝が・・・右下もしくは仰向け寝に矯正中!

傷付近の違和感が減ってきて、左下にして腕を敷き込んで寝そうなので、左肩の下にバスタオルを畳んで敷き込んで、左向きになり難いようガードして寝る。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

《着替え方》
術後は、左腕を動かすのも恐くて、肘を脇にくっ付けたスタイルだった。

自分でも、事前に習ったリハビリ体操を行ってはいたけれど、どこまで動かして良いのか?だった。

術後3日目からのリハビリは、大勢が出入りすると言うリハビリ室には行かず、私の病室に来てもらった。

化学物質過敏症(CS)の資料も渡し、気持ちは寄り添っていただけたけど、完璧な対応は無理なので、私は防毒マスクを着けて防御することにした。

計5回のリハビリで、最初は肩の高さにも及ばなかったのが、腕が耳に付く位上がるようになったけど、自力では~上げられなくもないけど、なかなか難しい。

着替える前は、横になったまま、左腕を右手で支える感じで、少しずつ上下運動。
肩が解れてから頭の上に上げていく。

それが出来てから、今度は座って腕の上下運動をする。

そこで、やっとTシャツを着ることが出来る♪

しかし、最初に右手を通す習慣の私。
右手を先に入れたら着られない。。。

左手を先に通して、次に頭を入れて・・・最後に右手エンヤコラ入れる。

ぶかぶかの大きめTシャツじゃないと難しい。

前開きブラウスは、今は皮膚が敏感で着られない。。。

とにかく、準備運動。
そして、前開きの服でも、Tシャツでも
、先に右手を入れる習慣を、左にするよう矯正中。

服の着替えもリハビリだ!

これは、肩が動くようになれば、どっちでも良くなりそうだけど。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

《左手をかばう》
右利きの私。
手術が左腕で良かったとつくづく思う。

左手で、重いものは持たないよう、負荷うぃかけないように言われてる。

入院中、体温計も血圧計も右だった。

家に帰って・・・血圧計の設定を右に変更した。

右腕の血圧計も、右脇の体温計も、これは苦労なく出来るけど、何か変な感じ。

今まで、何の気なしにやってきたけど、自分で左右を区別して使ってきたことに気づいた。

重いものを~つい持ちそうになって止める。

何キロ位だったら大丈夫なのかな?

高いところの物は降ろせないし、上げられない。

家族にやってもらえば良いけど、いちいち呼びつけるのも。。。

背伸びして届いても、左手は支えられないけど、軽い物だったら充分な高さのある踏み台があれば、自分で降ろせることを発見。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

入院のストレスか?手術や手術時に使用した薬物曝露の影響か?

入院中、血圧は160位の高めな状態が続いた。
退院してからは、ほどほどなので身体は折り合いをつけてくれたのかもしれない。

体温もずっと毎日朝から37度で怠い日が続く。

今朝は、36.3度で・・・術前の体温になったかと思ったけど、やっぱりお昼には36.9度。

低体温も困るけど・・・どうするんだろう?私の身体。

別に線引きすることもないけど、手術の後遺症なのか?化学物質過敏症(CS)の症状なのか?・・・。

どんな対応をするべきか?

新しい自分との新しい生活を模索中。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

お腰のマッサージ用に使ってたボールが臭くない。

術後の新しい生活様式♪_c0330749_17333917.jpg


イボイボが痛いので、ハンカチでくるんでニギニギ!
握力アップのリハビリ用になった。

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# by 2kaze | 2020-09-11 17:29 | 告知・手術・療養(ガン)2020~
あれから10日経ってしまったけれど、やはり記録しておかねば!と思い出しつつ書いてみようと思う。

長くなってきたので・・・お時間がある時にでもご覧下さい。

記憶を継ぎ足し、とりとめもなく書いてしまったので、直しもするつもりです。

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

入院前の通院時に、病歴や薬歴を紙に箇条書きして渡し、説明もしてあったが・・・。

入院の後(手術の前日)も、それに沿って外科医や麻酔医、看護師から、それぞれの立場で、更に詳しく根掘り葉掘りの質問を受けた。

携わってくれる医師も複数で、1度面談を済ませた後、再度の訪問もあったり・・・化学物質過敏症(CS)であり、薬剤トラブルの多い私の扱いに苦慮されている様子。

病歴に、喘息の項目が抜けていたことを指摘され、50年前の全身麻酔時のエピソードや、20年前の抗生物質投与時の体調トラブルについても、更に詳しく質問を受けた。

そして、その質問は・・・手術当日の朝も重ね、手術室の前でも確認された。

たくさん伝えてあっても、当日の体調等は以前と異なっており、結局はやってみないとわからない。

私にとってはドキドキ、一か八かの手術となった。

直前まで繰り返されたやり取りで、薬を決め、投薬量も決めて、処置方法も決めてくれたと思う。

感謝するばかりです。

そして、抜けていた項目を入れた病歴を追加しておかなくちゃ。

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手術とは関係ないが、給食担当の栄養士とも面談。

何を排除すれば良いのか?と問われても、大きなくくりでは、食品添加物であり、野菜を育てる時の農業や肥料の影響もあり、肉や魚も飼育時の飼料や投与される薬剤も関わってくる。

特定の食品としては、牛乳でお腹を壊すが、全ての牛乳がダメなわけではなく、特定の牧場で育てられ、牛乳加工の工程によれば飲める牛乳もある。

100%近く飲めない牛乳であっても、100%では無く飲めるものもあるのは、食品アレルギーとして捉えるのは・・・私の場合は違っているのではないかという話もした。

食品表示もあるが、私の身体が苦手な食品添加物に「アミノ酸等」というものがあるけど、同じ表記でも自覚症状が無く食べられるものもあり、表記名は同じでも加工業者が使用しているものは違っていたり量的な違いもあると思われるという持論を伝えた。

何処の生産者であったり、このメーカーのこの商品という風に、私自身が何度か食べてみて、体調悪化が無いものを食べている。

私が使える調味料を持ち込んで調理をお願いすることも考えたが、レトルト食品も食べることになると思うが、家族の協力も得られるので、食べて大丈夫なものを食べたいことを伝えた。

栄養士とも、入院前にも大まかな話をしてあったけれど、入院当日も詳しく質問を受けた。

そして、化学物質過敏症(CS)も個人差があり、病院給食も食べられる人もいるし、私以上に制限のある人もいることも伝えた。

私は、予定通り欠食扱いとなり、水も食事も自分で用意したものをとることになった。

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我が身を守る為、回り辛い頭をフル回転させて、医療以外の入院準備でへとへとだったにも関わらず我ながら~よく質問に応えられたと思う。

応えながら、これまで私自身が考えてきたことをまとめられ、不確かな部分との区分けも出来たように思う。

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点滴等、手当てに使用する粘着テープのパッチテストも行った。

いくつか貼った後、これも使う予定と追加され、6種類でテストした。

これまで数分で真っ赤になったこともあったのに、医療資材の進歩のおかげか、私が耐えられるようになったからか、貼った直後に違和感があったものもあるけど、予想に反して数時間は耐えられた。

CSのガン手術を振り返る・・・術前準備_c0330749_03452025.jpg


一度貼ったら痒くなっても1週間剥がせないものもあるそうで・・・。

数時間で痒くなったもの、半日OKでも剥がした後で痒みが出たもの・・・後で粘着テープの種類も書いてもらった。

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手術直前に着る術衣と、手術直後に着せてもらう寝間着も現物を見せてもらった。

どちらも刺激臭も感じなかった。

私が持参したパジャマでは・・・どうも都合が悪い感じ。
浴衣スタイルなら良かったかもしれないけど、病院で準備されているものの方が効率が良さそうな感じ。

術衣は、10分も着ていないかも。
手術直後に着るものも、3時間の安静以後は自分のパジャマに着替えられると言われ、病院のものを使うことに決めた。

どちらもビニール袋から出し、術衣は私が保管、術後の方は看護師の方で保管となった。

次々人が訪れ休む間も無かった手術前日。

手術当日の朝になって術衣を着たら、糊のような臭いを感じた。

一旦脱いで、防毒マスクでバサバサと振って大きく広げた。
前日からやっておけば良かったな。

十数分でも、バサバサが効いたのか、ギリギリの時間に着たら、臭いも減っていた。

クンクンしても臭わなかったけど、体温で温もると揮発すると・・・改めて体感。

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手術中は、圧のかかるストッキングを履く。
エコノミークラス症候群の予防だとか。

私のとって、化学繊維のストッキングなんて無理!と思ったけど、現物を触らせてもらったら、嫌な感じではなかったし、ハイソックスサイズだったので履いてみることにした。

手術中も、手術後3時間の安静時も、両足にはフットポンプを装着するので、絶対履かなくてはいけないと言うものではないとの説明だった。

きつめのハイソックス・・・ちょっと履いた位では、何とも無かった。

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それこそ、手術衣に着替えて、看護師さんの迎えを待つ時間に、外科医が訪れてくれて・・・50年前の手術時に、縫ったところは化膿しなかったか?金属アレルギーは無いか?との質問。

金属アレルギーについては、検査していないので不明。
ネックレスや時計は痒くなるので、身に着けることが出来ないが、コットンの紐でも痒くなるので、接触性もあるように思うと伝える。

大きな傷口は、ボンドで止めずにホッチキスで止めると言う。

ボンドはアレルギー症状が出ても、CS症状が出ても1週間外せない。

ホッチキスなら~外してやり直せるそうだ。

もう1人の外科医も寄ってくれて、手術室で会いましょう♪と挨拶してくれた!・・・麻酔の前に会えなかった(笑)

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手術室までは、看護師さんと防毒マスクで歩いて行った。

手術室の前で、昨日何度も話しをした麻酔医や手術担当看護師が迎えてくれた。

再度、病棟担当看護師といろいろ確認。

痒くならず残っていたパッチテストの粘着テープを剥がしながら、あそこは何で止めようか!?と皆で話し合っていた。

私は、補聴器も外していたので?だったけど、私への確認事項は聞き直してくれたので返事はできた!

∞ ・・・ ∞ ・・・ ∞

いよいよ手術室へ・・・

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# by 2kaze | 2020-09-11 13:05 | 告知・手術・療養(ガン)2020~

化学物質過敏症(CS)の日記


by 風